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障害児の親としてどうしたらいいの?との戦いと技術開発 その3

(その2からつづく)
小学校に入学してから、しばらくすると学習上の問題が出てきました。国語の授業がよく理解出来ていないことに気づきました。特に記憶と言語の問題が顕著なのです。教えてもすぐに忘れてしまうことや言葉の混乱が強く、日常生活程度ならわかるのですが、文章が増えると理解が困難になるのです。1番初めの発語は「あーなん」でお母さんという意味だったことを思い出し、聴覚の問題もあると考えていました。

ところが、方向感覚や地図の把握はよく出来ていて一回行った場所は忘れずに経路も間違ったことはありませんでした。電車も詳しく、この能力の違いが理解できませんでした。親ですので、もしかしたら、特殊な才能を持っているのではないか?てんかん波が治ったら、能力が元に戻るのではないか?もしかしたら、朝起きたら普通の子供になっているのではないか。などというあまりにも偏った期待をしていたのも事実です。

そんなどうしようもない夢を見ながらも、当時から学習障害の研究をしていましたので、冷静にてんかんによる知的の問題と学習障害という視点から息子のお勉強などの問題を理解しようともしていました。実際、息子には知的の問題もありますが、地理などできるところは知的の問題を超えていますので、当時のレベルで学習障害という視点からも理解しようとしていました。

また、なんとかお勉強が少しでもできるように、当時の学習理論や学習スタイル理論などを学びました。加えて脳科学にも範囲を広げて、視覚などの情報がバッファを通り、短期記憶から長期記憶への転写などの仕組みなどを勉強していました。特に、短期記憶のリハーサルなどの記憶システムをターゲットにして、その仕組みを応用した学習の問題を解決する方法を模索していました。

実際には、息子のわからないところを教えてお勉強を進めていくと、やはりとても理解できる領域と全く出来ない領域に見事に分かれていくことが確認できました。このころから薄らげに情報入力の問題に気づきだしていましたが、当時は学習の困難な方を対象とした行動主義的なDI(direct instruction)などの教育法を調べていましたし、LDという概念も世の中では、あまり知られていませんでした。ここから、息子の成長に合わせて、自然と学習障害を中心としたプログラムや技術開発へと戦いは進んでいきました。(つづく)