(その1からの続き)
茨城での主治医さんからのアドバイスにより、転勤時期になり関西での勤務を希望したところ、幸い大阪に戻ることができました。有難い人事で心から感謝したものです。勤務先も大阪の中心部で便がよく、茨城の幼稚園から新しい大阪の幼稚園の受け入れもきまり、子どもとの新しい生活が始まりました。ただ心配だったのは、妻が息子がてんかんという精神疾患であったため、愛着上の問題が出始めていたことでした。大阪なら私の家族も応援してくれるので、それは治まると考えていました。
転勤後、新しい幼稚園では、てんかんの発作が出たときのためのお薬とその対応をペーパーにまとめてお願いしました。幼稚園の先生方はとても好意的に対応してくださりました。特別な配慮もいただき、友だちづくりなどもしていただき、安定した生活と教育を受けられることができました。
手厚い対応もあり、結局てんかんの発作は幼稚園ではでなかったですね。ただ、卒園に近づいてくると家で大発作が出始めて、その対応に病院と連携して投薬をしたり、薬を変えたりと大変でした。加えて、少しずつ学習面や対人面で問題が出始めてきました。例えば成長しているはずなのに相変わらずお絵描きが線と色だけで、何を書いているのかよく分からなかったり、他の教育にもついて行きづらくなってきました。そして、それをみた妻がショックで、幼稚園の参観に行きたがらなくなったり、精神的に不安定になることも増えてきました。
この頃、知能検査なども行っていただきましたが、IQが40台でてんかんが知的な問題を引き起こしていることもわかってきました。子どもと遊んでいると、可愛いし楽しいので、あまり知能は問題にしていませんでした。犬を飼ったことのある人はわかると思いますが、自分の犬は世界一可愛いというバイアスがかかりますよね。
ですので、その頃はたとえ病気があっても手のかかる問題が多発していても自分の息子は世界一!と思っていました。そのうちなんとか追いついて来るだろう!そんな感じでした。ですので、小学校への進学相談の時も、普通学級でお願いして支援級などは考えていませんでした。小学校側もご両親がそう言われるならとそのまま普通の小学校生活が始まりました。結果的には正解だったと思いますが、学校生活やお勉強の支援が大変でした。社会性の問題や家族問題がだんだん難しくレベルへと上がっていくのでした。(つづく)
©️ 薫化舎 無断転載禁止