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障害児の親としてどうしたらいいの?との戦いと技術開発 その1

薫化舎グループの役員や職員には、元クライアント様の保護者の方も勤務されています。子どもが良くなり、薫化舎の社会的企業としての理念に共感したので、働かせてほしいというご希望も多いです。私も障害者の親ですので、これはとても嬉しいです。弱小零細企業でなんとか経営を続けていることもあり正規雇用は難しいので、認知リフレーミング士の資格を取っていただいて、専門コンサルタントとして一緒にプログラムを実行できるようにお願いしています。

 

さて、私の息子は、3歳の時にミオクロニーてんかんと診断され、治療に悪戦苦闘してきました。手を繋いで歩いている時に発作に気づいて近くの東京医科大学病院に駆け込み、そこでの治療が始まりました。幸い良い先生方に出会い、適切な治療が行われて発作はなんとか次第に治まっていきました。ただ、息子が入院した小児病棟には、重いてんかん症状の子どもさんもおられて、その親御さんと今後の不安について語り合った記憶は…今でも辛く悲しくなります。

 

てんかんの治療により脳波の乱れはあるものの生活上は安定してきました。転勤族であったため東京から出なければならない時期になり、東京医科大学病院の茨城医療センターに担当教授が月1回来られるので、希望してそちらの近くの施設に転勤させていただきました。そして、大変治療でお世話になり、脳波の乱れも少しずつ変化してきました。症状が安定してきたら次は親としては、今後と将来の可能性について心配や不安がでてきました。


将来のことについてもご相談させていただきましたが、治療はできるが残念ながら養育のアドバイスは難しい。息子の治療と成長に向き合って欲しいとのお言葉を頂いたので、養育や教育は自分でやるしかないと心に決めたものです。そうか、こんな名医さんでも医師は病気を治すプロで、教育や人生設計などは専門外だとその言葉を通して教えていただいたのです。


この茨城での勤務が終わったら、地元の関西に帰ろうと心に決めました。親として自分でやるしかないと、実践も研究もしていくことにしたのです。また関西の方が様々な人脈があったことと障害児教育が手厚かったからです。ここから障害のある息子とのライフコース上の最善を目指すという戦いが始まっていきました。(つづく)